2007年6月26日火曜日

ドリアン・グレイの肖像


イギリス文学はそこそこ読んできたつもりである。シェイクス・ピア、ジェーン・オースティン、ブロンテ兄弟、ジェームズ・ジョイスロレンスetc.はっきりいって自分にとってどれも面白くない。雑感だが、イギリス文学、映画から伝わってくるのは、宗教的香りであり道徳的であり、優等生みたいで、つまらない。逆にそこから抜け出そうと反動的な動きもあるが、反動でしかない。

しかし、オスカー・ワイルドは違う。素晴らしい。デカダンスな妖しい雰囲気に包まれ諧謔に満ち、逆説的な言辞でドリアン・グレイを翻弄するヘンリー卿、万歳である。

美貌の青年ドリアンは自分の美を残すべく、肖像画を描き、それはまさに美と若さを象徴するものだった。ヘンリー卿の啓示に、次第に悪徳と快楽を貪るドリアン。ドリアンは女優と付き合うのであるが、彼の言動から彼女は自殺してしまう。彼自身は依然美しいが、肖像画は次第に醜くなっていく。人は死ぬが、絵は残る可能性がある。焦った彼は絵をナイフで切り裂くが、、、

初読の時に感じたことは、肖像とは人の姿を現すものであるということ、悪徳に染まる所から醜くなっていくとあることから、良心的なものではないかということ。そして依然肖像画は美しいのであるが、彼にはそう見えない。なぜなら、彼は自分が悪徳に染まり、汚辱に満ちていることを知っているから。そこには罪の意識があり、徹底的にヘンリー卿でふざけてみせ、つまらないのはシリアスな時代の到来だと語ったオスカーワイルドはドリアングレイを通してふざけきれず、シリアスな一面を併せ持つことを垣間見せてしまう

それにしても、快楽、享楽、悪徳、汚辱、破滅に満ちた妖しい美しさに乾杯!

最後に好きなオスカー・ワイルドの言辞を付しておく。
私は節操より人間が好きで、世界の何より節操のない人が好きだ。

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