2007年6月26日火曜日

三島の檄文

三島の檄文の全文を最近読んだ。
釈然としないものの日中関係などを鑑みて靖国参拝は控えることの方が懸命なのではないかと思っていたがそれこそ名を捨て実をとることであった。最近日本の核保有に関する言及もあったが、個人的な見解としては、まだなんとも言えない。核保有はいたずらに極東の緊張を高めるだろう。ただ国防という国の基本を我々は、忘れるべきでない。有事の際の防衛について深い議論を切望する。極東有事の際、アメリカが守ってくれるとはどうしても思えない。それから自分の中で決着をみたことは、首相は公的、私的であれ諸外国になんと言われようと靖国参拝に行くべきであるということである。日本を守るために命を落とした者たちに敬意を示すのは当然のことである。

日本を日本の真姿戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで魂は死んでもいいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君に見せてやる。それは自由でも、民主でもない。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか 三島の檄文より

このあと三島は自殺した。三島の自殺を檄文だけに片付けることはできない。
この檄文は戦後日本に対する痛烈な批判であり、それは今の日本にも怖いぐらい当てはまる。是非全文を読んでみていただきたい。

右ととられるんだろうか、戦争は二度と起こすべきでないし、外交的な解決によるべきことは自明なことである。しかし有事が避けられなくなった時に戦地に黙って赴いた者達、そして三島の檄文に言いようのない崇高さをみると共に、自らの不甲斐なさも突きつけられる。

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