2007年6月26日火曜日

栄光と挫折

栄光と挫折

金銭とは我々人間にとっていかなるものなのだろうか。アンジェイ・ワイダ監督作
1974年ポーランド映画「約束の土地」を見終わるとそんなことを考えずにはいられない

舞台は19世紀末のポーランド工業都市ウッジ。ポーランド士族であるカルロにブリキの太鼓などにも出演したダニエル・オルブリフスキを迎え、繊維工場主の父を持つマックス、ユダヤ商人のモリツの三人が共同で親世代の工場から離れ、自らの工場を持つべく邁進していくこととなるが、果たして彼らは約束の土地を見つけられたのだろうか

アンジェイ・ワイダ監督といえば灰とダイヤモンドであり、大理石の男である。極めて政治性の強い香りを漂わせた作品をとることでおなじみである。そのワイダであるが今作にいたってはワイダらしくないテーマで映画を撮っている。新興ブルジョワの成り上がりの話である。しかし不思議といやらしさを感じさせない。 野望、名声、富、妬み、策略が渦巻いたどぎついエネルギーに満ち溢れた世界の中で、若者が自らも成り上がっていこうとするさまをどこか暖かいまなざしをもってワイダは描ききった。なお特筆に値するのは美術であり、ヴィスコンティのルードヴィッヒを髣髴とさせる屋敷の豪華絢爛な様や飾られている絵画、調度品にいたるまでため息の出るような美しさを放っておりこれだけでも酔いしれてくるというものである。

まず押えておきたいこととして、この映画にはポーランド人、ドイツ人、ユダヤ人と三つの民族がでてくるものの、それによる対立といった物を描いてはいない。民族ではなく金というものが階級という別の対立軸となるものを生み出しているということを改めて気付かせてくれるのである。ワイダはカルロ達3人を取り巻く資本家の世界を描くが、一方では終始食べていくことさえ難しく資本家の下で過酷な労働生活を強いられるものがいるということを路上にあふれた貧困者の映像、資本家は労働者を豚だとののしり、貧困に喘ぎ助けを求める者に対して死ねばいいとのカロルとの会話でのやり取り、資本家が少女を弄ぶことによるその父との血生臭い憎しみ合い、そして最後の労働者のストライキの映像といったものでしっかりと切り取ってみせる。

もう一つの見どころは新興なり上がりのカルロという男、そのものである。カルロは商才の持ち主で自らの工場建設といった野心に燃える男である。理知的な彼は感情を露わにするようなことはまずない。夢の実現というものに向け、馬車馬のように働き、常に事業のことに頭がいっている。資本家をうまく取り込み、女を虜とすることもまた夢の実現に向けた打算がしっかりと働いてのことなのである。まさしく赤と黒のジュリアン・ソレルを彷彿とさせるキャラクターであり、野心というものをまざまざと見せてくれる。

男であればだれでも一端の男となりたいと思うものではないだろうか。特にそれが若い頃であればなおさらそのように思う。その意味でカルロの貧困者に対する慈悲のない言葉など冷徹さを感じさえられる部分はあるのだが、どうしようもなく惹きつけられてしまうものを彼は備えているのである。彼はいわば19世紀末、急速に資本主義が進展していくなかで必然的に生み出された人々の欲望を象徴的に体現してみせた存在であったといえるのではないだろうか。そのカルロが、ルツィという女性の間に子供ができたことから夫の指図で工場に火を放たれ、無一文となる。

その後彼は旧世代のミューラーの娘と結婚することで実力者となっていくものの旧世代に取り囲まれていき、旧世代と同じ道を歩むことを案じさせて終わりを迎える。最初のシーンであどけなさを残し、希望、夢に満ち溢れた笑顔が最後では冷徹な無表情な顔で持って終えるものを見て、金銭というものが必然的に人間というものを変えてしまうということを見せ付けられた

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