2007年6月26日火曜日

マルドロールの歌


折に触れて詩を読むことがある。バイロンもボードレールもリルケもブレイクも好きになれない。感傷的すぎたり、グジグジしていたり、神秘的過ぎたり、いずれも、俺が求めているものとはちょっと違った。甘い詩なんか読みたくない。気分が腐ってくる。

俺が好きなのは、ランボーの地獄の季節とこのロートレアモンのマルドロールの歌である。ランボーを読んだ後、心の中で、ランボー!ランボー!ランボー!と叫んでいたが、マルドロールの歌はそれを凌ぐかもしれない

有名な詩句、

<そしてなによりも、ミシンと蝙蝠傘との、解剖台の上での偶然の出会いのように、彼は美しい>

に代表的なデペイズマン(本来あるべき所から物、イメージを別の場所に移すことで生まれる驚異)の手法により、異質なものが偶然にも遭遇する美しさを詩にしているが、ロートレアモンの詩は一見アナーキーに言葉が配置されているように見えるが、不思議にも言葉の組み合わせから、生じるイメージに焦点を合わせて読むとイメージから生まれる不思議な美しさをもたらし、この言葉との組合わせはこれでなければならないと感じさせる。

そして彼の詩は一つ一つ言葉が選び抜かれたことでか、全体の詩句が非常にシャープに感じられる。絶望的に翻訳に頼らなければならず、前川訳に頼っているわけだが。そしてこのマルドロールは美しいだけではない。ランボーが霞むかのように思えるぐらい激烈なのである。ナイフでも持った青年が怒りをぶちまけている。そんなイメージだ。少年ジョルジュに対する想いや引き裂かれたことに対する社会への恨みが全編に漲っている。全ての人間的な価値、モラルは価値のないものに貶められて、悪が激しい感情の勢いにまかせて妖しく光輝く。上っ面の下に渦巻くドロドロした感情に驚愕しつつも、何度も繰り返し読ませる。

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