2007年6月26日火曜日

奔馬


三島の豊饒の海第二幕、奔馬、俺はこの物語が大好きだ。
第一幕春の雪の清顕は唾棄すべき人物であり、本多の視線から飯沼勲を俺は眺めている。清顕になく、飯沼にあるもの、信念であり、行動である。理想に向け純化した魂がまっしぐらに一身を委ねる。小市民的くだらない幸せなど微塵も考えてない。男に必要なのは幸せでない。信念であり、誇り、自尊心、自負心である。

時は昭和、堕落した政治、鬱屈した社会を改革しようと暗殺を同志を募り、企てる勲であるが、大人達の冷淡な反応、恋人の密告により、計画は頓挫することになる。飯沼の言葉、

「僕は幻のために生き、幻をめがけて行動し、幻によって罰せられたわけですね。どうか幻でないものがほしいと思います」には胸が締め付けられる。そして静かに自刃に向かう。

しかし、彼は敗北したのではない。勝利したのである。なぜか奔馬の最後の行は次のように締めくくられる。

正に刀を腹に突き立てた瞬間、瞼の裏に日輪が赫亦と昇った。

この時太陽は昇ってない。それでも彼は瞼の裏に太陽を感じている。観念の太陽である。彼は疾風怒涛のごとく一回性の生を理念に捧げ、その達成感ゆえに太陽を見れたのである。

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